
半導体・液晶装置の現場で迎えた33歳の限界
今から25年ほど前、私は会社員として、液晶パネルを製造する機械を作る社内ベンチャーで働いていました。少ない人数で立ち上げた事業でしたが、テレビがアナログ放送から地上デジタル放送へ移る時代に、装置が突然、ものすごい勢いで売れ始めました。
需要に対して人手がまったく足りず、私もお客さんの工場での装置のセットアップやトラブル対応に追われ、昼夜を問わず働いていました。そうした生活を続けるうちに心も体も限界を超え、33歳の時に鬱を発症しました。会社の制服についたロゴすら見られなくなったことを、今でも覚えています。
会社に常駐していた看護師さんに週に1回ほど話を聞いていただき、2ヶ月間ほど休職しました。少しずつ、本当に亀のような歩みでしたが、体調を取り戻していきました。
アリゾナ大学での半導体共同研究
復職後、思いがけないチャンスが巡ってきました。アメリカのアリゾナ大学で、半導体に関する共同研究に携わることになったのです。
大学で自ら研究してデータを出し、そのデータを持って半導体デバイスのお客さんを訪ね、当時の会社の装置の評価をお願いする。つたない英語でプレゼンテーションを行い、評価していただく。それが会社から与えられた私のミッションでした。大学での研究成果を、お客さんである企業の技術開発に結びつけるこの仕事は、本当にスリリングで面白いものでした。
大学と企業が近い、アメリカの産学連携
アメリカでは、大学の研究と企業がとても近い関係にありました。当時の私のアドバイザーはインテル出身の先生で、企業での経験を生かしながら大学で研究をし、学生を育て、企業との共同研究を次々と進めていました。その仕事の進め方や学生との向き合い方に、強く憧れました。
学生たちもよく研究し、よく学んでいました。大学院生の中には、研究そのものを仕事としてお給料を得ている人も多くいました。大学は研究だけの場所ではなく、人が育ち、企業と新しいことを始める、さまざまな可能性がある場所なのだと実感しました。
36歳で大学教員を志し、49歳で実現
企業と一緒に研究をしながら、学生と一緒に学んでいく。アメリカで見たこの大学の仕組みを、日本でも取り入れられないか。36歳の時、私は大学の教員になりたいと考えるようになりました。
大学教員になるには博士号が必要ですが、当時の私は持っていませんでした。実際に大学教員になれたのは49歳。志してから13年ほどかかりました。
33歳の辛い経験がなければ、アリゾナ大学に行くことも、大学教員を目指すこともなかったと思います。自分で計画したわけではなくても、人生は思わない方向に進んでいくことがあります。
La quaLabについて
La quaLab では、半導体製造技術や精密洗浄、静電気対策などを中心に、企業の技術開発や品質改善のサポートをしています。大学での研究と企業での実務経験を生かし、皆さまと一緒に技術課題の解決に取り組んでいます。技術相談や共同研究については、本サイトのお問い合わせからお気軽にご相談ください。
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